世界で活躍する日本の芸術家たち。

世界で活躍する画家:サトル・サトウ

残暑も終わり、すっかり涼しくなって世間は秋ですね!秋と言えば食欲の秋、読書の秋、スポーツの秋と色々ありますが、今年は芸術の秋に身を染めてみてはいかがでしょうか。ここ日本には、世界中をまたにかけて活躍する芸術家たちが沢山います。岡本太郎や歌川国芳、レオーナール・フジタなどは、芸術に毛ほども興味がない人ですら、聞いたことのある名前だと思います。画家、彫刻家、美術家、浮世絵師、絵本作家など、様々なジャンルでトップを走る日本人を紹介したいと思います。

サトル・サトウ

サトル・サトウ(佐藤達)は、フランスを拠点に活動している画家・造形作家です。幾何学構成的絵画の画家として知られています。絵画の他にも環境造型作品と言われる野外作品も多数制作していて、現在永久保存の野外立体作品は43点を数えるに至っています。1945年11月14日に宮城県登米郡石森町に生まれました。2軒隣むかえに「サイボーグ009」や「仮面ライダー」で知られる漫画家・石ノ森章太郎の家があり、幼少期にはよく一緒に遊んだのだそうです。1969年にパリに渡ったのですが、その際は章太郎の弟と妹も一緒にパリ国立高等美術学校に留学し、グスターヴ・サンジェ教授のもとで学んだそうです。1979年に「鉛直主義」を世界に向けて宣言し、国際的抽象画家となったサトルは、幾何学構成的絵画から立体作品、環境造形作家として、パリを拠点に多くの作品を制作・発表しています。現在は東日本大震災で被災したふるさと宮城県とパリを往復しながら、様々な作品を制作しています。

プロフィール

出生~1990年代

1945年11月14日、宮城県登米郡石森町(現在の登米市中田町石森)に生まれました。宮城県佐沼高等学校を卒業後に上京し、東洋美術学校に入学します。1969年に同校を卒業。同年、パリ国立美術学校に留学します。サトルは1974年までの5年間をこの学校で過ごしました。同校在学中に訪れたエジプトでピラミッドに出会い、構成・構造・幾何学の原点に触れ、衝撃を受けました。この体験が現在のサトル・サトウの作品に大きな影響を与えています。1972年には、パリで初めての企画個展を開催。さらにパリ招待サロン、レアリテー・ヌーベルに作品を出品しました。翌年にはミシェル・スフォール、岡本謙次郎と出会い、大きな影響を受けます。この頃からパリの幾何学構成主義的作家たちと交流を持ち、グループ展などに参加し始めました。1976年にはイタリアのパガニー野外彫刻美術館から依頼され、モザイクを製作します。1986年にはパリの現代サロン、グランエジュンヌドージュドウイの運営審査委員に任命され、以降2004年まで審査医院を務めました。1988年には故郷・宮城にある宮城県美術館にて行われた五人展に招待出品します。1989年には在仏20年記念展が、有楽町・そごう、仙台・藤崎、銀座のモリス・ギャラリー、新潟・創庫美術館、パリのギャラリー・コンベルジャンスなどで開始され、作品集が創庫美術館から出品されました。1990年には御影石による、初めての野外彫刻を製作。作品はサトルの出身地である登米市の南方中学校に設置されています。1991年には、国立パリ大学第八、造形美術学科の講師となり、2007年まで講師を務めました。1992年には「みなみかたアート・フェスティバル」を企画し、7人の現代彫刻家と共に登米市南方町にて作品を制作しました。この様子は全国的にテレビやラジオ、新聞などで報道されました。1994年には御影石による作品を登米祝祭劇場庭に制作しました。翌年には登米市夏川のポンデザール(芸術橋)の橋全体と周りの自然を取り入れた環境造形的作品を制作しました。さらに翌1996年にはフランス・クレルモン・フェランにて、御影石による環境造形作品を制作しました。1998年にはエクアドル・キトのメトロポリタン公園に、コンクリートで環境造形作品を制作しました。同年にはエクアドル政府より第一等文化功労賞を受賞しています。これは日本人では野口英世を含めて3人目の快挙でした。

2000年代~現在

2000年には韓国・山清郡の国際彫刻シンポジュウムで大賞を、朝鮮戦争終結50周年記念国際彫刻シンポジュウムにて釜山広域市南区の名誉区民賞を受賞しました。また同年、登米市中田町の諏訪公園に、2.5ヘクタールにも及ぶ巨大な空間環境造型アート作品を完成させました。2001年と2003年にはそれぞれ、レバノン、韓国民族村にて野外造型作品を制作しました。2004年には台湾・桃園県にて野外作品を制作しています。また、アメリカ合衆国プエルトリコ大学本部公園でも野外作品を制作しました。2005年にはベネズエラにて環境造形作品を制作。ふるさと、石森では、石ノ森章太郎ふるさと記念館隣の安永寺のために作品「無常の響き」を制作しました。2006年にはアンドラ公国の郵政局より、2004年に制作した環境造型作品が切手として30万枚発行されました。2007年には登米市中田町に、「サトル・サトウ・アート・ミュージアム」が開館しました。翌2008年には、パリ招待サロン、レアリテー・ヌーベル(幾何学構成絵画)の運営審査委員に任命されました。このように、世界各国で活躍するサトル・サトウは、これまで個展を70回、グループ展を380回、観光造型作品制作設置は40点を数えています。

サトル・サトウ・アート・ミュージアム

サトル・サトウ・アート・ミュージアムは、宮城県登米市出身のサトル・サトウと、彼がパリ滞在中に出会った仲間たちにより寄贈された幾何学構成的絵画のコレクションを展示するアートミュージアムです。元々は中田町立桜場小学校の校舎だった建物を改装利用した「登米市中田生涯学習センター」の3階に、2007年7月28日に開館しました。幾何学構成的抽象絵画を中心とするコレクションは、サトル・サトウの作品が350点、海外の作家仲間、コレクター、ギャラリーから寄贈された海外作家の作品が272点で、美術館全体のコレクションは計622点にのぼります。開館に際しては、小学校の改装とはいえ、市立の美術館をつくることに対して市議会では財政難から一度は否決されました。しかし、市教育委員会がアートミュージアムに改装する計画を変更し、生涯学習センターとしての利用に変更して議会の理解を得たという経緯がありました。学校教育との連携、一般市民を対象にした親しみやすい事業の展開という2つの柱でコレクションと施設の有効活用を図っており、体験絵画教室や現代アート講座なども実施しています。開館から約1年経過した2008年9月13日には、収蔵作品図録の完成を記念してグランドオープニングパーティーが盛大に開催され、アートミュージアムとして本格オープンしました。年末年始以外は毎日開館しており、誰でも無料で入場できます。周囲には同じく登米市出身の「石ノ森章太郎ふるさと記念館」や、登米市歴史博物館などテーマの異なる芸術関連施設もあります。

作品

アート・ミュージアムには、絵画、レリーフ、オブジェ、インスタレーション、模型、デッサン、ドローイング、コラージュ、版画とありますが、有名作家の図録なども数多く所蔵しています。サトル・サトウの常設展示室の他、4つの展示室があり、毎回テーマごとに多数ある所蔵作品から企画展示を行っています。収蔵作家には、ピエト・モンドリアンやミシェル・スーフォー、カルメロ・アルデン・キン、ソニア・ドローネ、ジュス・ラファエル・ソト、ヴィクトル・ヴァザルリー、ヤコブ・アガム、カルロス・クルズ=ディエズ、ソル・ルウィット、チリダ、トマセロ、ヌームール、ロースと言った有名芸術たち143名の作品があります。彼らの作品からヨーロッパ美術の流れの一端を見ることが出来ます。

サトル・サトウの魅力

サトル・サトウは宮城県登米市出身の芸術家です。彼の故郷である登米市を訪れると、街全体がアート作品であるかのような印象を受けます。街の至るところに彼が手がけた環境造型作品を観ることができ、登米市の人々の生活に、彼の作品が溶け込んでいることが分かります。多くを語らず、ひっそりとたたずむ彼の作品を見ると、彼のその大らかな人柄まで見えてくるようです。彼の作品は幾何学構成がテーマになっています。誰もが知っていて、誰もが描くことができる丸や三角や四角や直線を活かし、三原色を基調にした色々な色や素材を取り入れていて、とてもシンプルな中に、どこか温かさや冷たさを感じられます。また、同じ三角なのに一方は静的で一方は動的だったり、やさしさを感じるもの、厳しさを感じるものなど様々です。その絵画に対する感じ方は、鑑賞者の自由です。その幾何学の世界から感じるものは人それぞれ。好きな絵もあれば、気に入らない絵もあると思います。「変わってるな」「面白いな」など、様々なことを考えながら、気軽に鑑賞できるのがサトル・サトウの作品の魅力だと思います。サトル・サトウ・アート・ミュージアムではサトル・サトウの個展や企画展の他に、彼が40年間のパリ在住で知り合った芸術家仲間の作品やその企画展、親子で参加できるワークショップや、アート出前講座といったイベントも度々行われています。小学校を改装したミュージアムなので、どことなく懐かしい匂いがするのがいいですね。不思議と落ち着く場所です。サトル・サトウの作品はもちろんですが、廊下に飾られているアート講座の生徒さんたちの作品も、それぞれ個性があってとても見応えがあります。子供の作品は枠にとらわれない自由な発想があって面白いですよね。見ているだけでわくわくします。私もいつか子供が生まれたら、参加してみたいなと思っています。世界の何十ヶ国もの場所で活躍しているサトル・サトウですが、このようにアート講座やワークショップでは自ら教鞭を取ります。そういった意味ではとても近いところにいる芸術家なのかもしれません。そのスタンスは、登米市の生活に溶け込む彼の作品群たちと少し似ているような気がします。登米市に行くと、ふるさと・登米市の人々や街に寄り添って活動する彼の柔らかな愛情を感じるような気がします。