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10月28日、13時30分。登米市東和町の首藤委員長はじめとする米川長生大学移動研修の皆様(鱒渕・竹峯会30名、米川・若草会29名等、全員で98名の方々)が、大型バス2台で予定時間丁度にミュージアムに到着。

2010_10_28[8].jpg一度に大勢の方が入館されるのをご案内するのは私にとっては初めての事。センター所長、アート・トリエンナーレ事務局長、スタッフ一同と一緒にお出向いできました。

2010_10_28[9].jpg80代のご夫人の中には石森仲町出身の方も居て、楽しいお話も。
東和町米川は仲間や知り合い、世話になった方々も多く、綱木の三経塚・隠れキリシタンの里のモニュメント依頼を受けた時は、小野寺和彦夫妻、佐藤憲一夫妻、当時の東和町の担当課長の小野寺富夫さんにもお世話になり、皆様とは20年近くの付き合いです。

2010_10_28[10].jpg 2010_10_28[11].jpg佐沼高校の同級生もいますし、以前、お聞きしていた佐沼中学校を退職された先生とも私の両親と親しくしていた方々もいて、作品を案内しながら昔話に花が咲いたり、「あら、うちの孫に見せないとね、こんな素晴らしい施設が在る事、知らなかったわ!」、

2010_10_28[12].jpg 2010_10_28[13].jpg「なかなか、ハイカラで色が楽しいね」、
「あらー、光が奇麗に、ほら、あなたの背中にも色が映って見えるわ!」、
「面白い、とにかく、驚いたね、又、ゆっくり、友達連れて一緒に来るから!佐藤先生は未だ田舎に居るんでしょう。」

2010_10_28[14].jpg100名近くの方々が乗った大型バスを小雨降る中で、見送りました。

パリの仙人・渡部忠男さん(画家の内藤松子さんの友人)から、新しく開館されたメス(Metz)のポンピドゥー・センター(Centre Pompidou-Metz) 分館のオープニングに招待されて出席して来ましたと4ヶ月ぶりの元気な電話を頂きました。

丁度、私の方は9月から始まるドイツ・サールイでの美術館の企画展に展示する作品を6点届ける為、来週にはメスを通るので立ち寄ってみますと話し合った所でした。

メスは、パリから東に333キロ、オートルート(A - 4)を走ると仏北東部の都市メス(Metz)に簡単にたどり着きます。 TGV (日本の新幹線と同じ様な高速電車、現在、日本の新幹線を抜いて世界最速で走ると言われています)だと、1時間半で着きます。

Pompidou-Metz[1].jpg1年前に訪ねた時はシャンピニヨン(キノコ)形の屋根が建設中でした。
地元の方々は困ったものだ、あんなものを造っても観に来る人はいないだろうと言う意見も多かったのですが、1年ぶりに訪ねてみたら平日にも関わらず入館者が凄い。

確かにパリと比較すれば小柄な建築物ではありますが、自然光が入り、曲線と直線のバランスあるアートを感じさせる現代建築、メス駅から歩いて行ける近さ、駐車場も予想以上に広く完備され、アルザス、ロレーヌ、シャンパーニュ地方の方々にとっては、パリ・ポンピードーセンターの収蔵作品をパリまで行かずに見れる訳ですから、勿論、ドイツやルクセンブルグにも近く外国人の入館者も見込める訳ですから、実際に1時間近く待たされた入り口前ではドイツ語が良く聞こえていました。

Pompidou-Metz[2].jpgパリ・ポンピドゥー・センターの分館・ポンピドゥー・センター・メスの設計は、日本人建築家坂茂(ばん しげる)氏とフランス人建築家Jean de Gastines(ジャン・ド・ガスティーヌ)のグループが手掛けた建物です。 Pompidou-Metz[3].jpg

4月1日は、日本では四月馬鹿と言って、きつい冗談を言っても許される日、昔から、いろんな方々にわざわざ違うニュースを流して困らせた事が在りましたが、最近は多少静かにしています。

フランスでも、ポワソン・ダヴリル(Poisson d'Avril)と言って、結構、子供達を中心に大人達迄騒ぎますから、今日は私の方から、とっておきのニュースです。
信じるか信じないかは、皆様のお気持ち一つです。

何と、❖登米国際アート・トリエンナーレ、〖理想郷・幾何学構成アートの祭典〗が9月1日から10月31日迄開催されます。
何と、Satoru Sato Art Museum を応援する有志の方々が、友の会を作り、共にアートを通した文化交流を目的に、子供達から高齢者迄、生涯学習しようとする初めての大きな事業、行政と市民の同意の元で企画されたものです。

小中学校の夏休みが終了した時点で、外国人も含めて13名の方々が参加する、主に野外造形作品の展覧会が開催されます。
幾何学構成アートと言いますと、何となく難しい様に思われる方も居ると思いますが、日本古来の建築を診ると矩型と円を中心にした『間の空間』が存在し、我々はその中で長い間、生活して来ているのです。
簡単に言えば、丸・▲・四角・直線を中心にイメージした作品と言った方が良いと思いますね。
自然空間の中で、又、区切られた空間の中で、幾何学構成アートに、実際に観たり触れたりする事で、何かが変わると!期待しています。

招待作家や若手推薦作家、大学のチームの参加も在り、9月1日から、大勢の方々が登米市にいらっしゃるのです。

会場はサトル・サトウ・アート・ミュージアム(登米市中田生涯学習センター)とその庭を中心に、登米明治村地区、石森商店街地区の他、登米祝祭劇場、南方花菖蒲の郷公園、中田諏訪公園、石森ふれあいセンター、元・上沼小学校などになるようです。
商店街では板塀をパネルにして、そこに作品を描く人、作る人も居るで事でしょうし、空き店舗を一つの白い空間に作り、一個の作品を展示する方も。
山から木を、竹藪から竹を取り出して作品を創る人、穴を掘る方、鉄の作品も、芸術家に寄るいろん
な作品が出現すると思います。
正に〔 かわったモノがある街 〕に変化する事でしょう。

招待作家は彫刻家で造形作家の江口週さん、造形作家の高山登さん、守屋行彬さん、窪田俊三さん、中川猛さん、市野泰通さん、松宮喜代勝さん、斉藤史門さん、ミュージアムの部屋では映像作家の小林はくどうさん。
外国からは、コルメナレーズさん、パックさん、オレペックさん、マヴロポールさん、それに推薦作家の若手作家と言えるかどうか、沼田さん、越野さん、青野さん、菅原さん、若手の瀬野さん、新田さん、関本さんなど、仙台、東京の作家の方も含めて多くの推薦作家も参加します。

学生さんの参加はボランテアだけでなく、グループでの作品参加、そんな夢の様な企画が我が故郷で!此れって!
今日は4月1日、だから言えるのかも!地元のボランティアの方々、子供達&高齢者との交流も含めて、いつもの故郷が此れ迄と違って見えて来る様な変化を、新しい微風が心の中に、そして、北上平野最北端の登米市に限りなく吹く事でしょう。

施設を利用した合宿所での宿泊、食事、ボランテアの家庭に泊まる方々も含めて、作家同士の交流、ボランティア同士の交流も生まれて、熱い2ヶ月間を過ごす故郷の夢を見た所です。

正夢で在る様な夢を、4月1日なら、言えるかなと、次回には、百瀬寿さん、高木修さん、倉重光則さんも参加と、やはり此れは夢なのでしょうか?!

3月20日、スペインの バルセロナの町から海岸線に約30キロ南下した所に、Sitges の街が在ります。街の中心と言うより海に面した高台に海を見渡す様に教会が壮大に建ち、その建物の隣に近い一角の所に在る建物がスタンフリ美術館。

中央ベージュの建物の4階がピターの美術館館内の大きなガラス窓の先は庭で、その先の岸壁では地中海の波が激しく波打つ音が聞こえる、海が見える素晴らしいロケイションなのです。

55名の作家から寄贈された作品は見事に展示されていました、ピター氏が 〖今回、完成オープン・セレモニーが開催出来たのは、仲間達の作品が在るからですと、絵が無かったら展示が出来ないのでと冗句まじりに寄贈作家達にお礼の言葉を、又、建設に当り、市の協力が無ければ出来なかった事、行政サイドの厳しい対応も時間をかけて無事クリアー出来て、財団法人が出来、奥様の応
援も重要で感謝しています〗と、和やかなお礼の言葉が終えてから、賑やかな楽しい一夜を皆さんで過ごせました。

PeterStampfli[4].jpgピターの芸術家仲間達と言えば、1920年代生まれの 
Francois Arnal , Gianni Bertini , Pierrette Bloch , Pol Bury , Cruz-Diez , Henri Cueco, Ladislas Kijino , Piotr Kowalski , Jaques Monory , Kim Tschang-Yeul , Jacques Villegle ,
ピーターと同じ1930年代と成ると日本でも 知られている Mark Brusse , Erro , Piter Klasen ,
Jean-Michel Meurice , Jean Pierre Raynaud , Guy de Rougemont , Segui , Niele Toroni, 
Velickovic , Claude Viallat , Jan Voss , Joel-Peter Witkin,
等の作品も、年代を問わず広い範囲での彼の交流が解ります。

Satoru  Sato Art Museum に寄贈している作家は、Cruz-Diez , Mark Brusse , Guy de Rougemont , Piter Stampfli , Warren と私で6人の作家の作品が見れましたが、
ヌボー・リアリズムからポップ・アート、スウポール・シュールファスの時代の作家も居て、コンセプト&ミニマルな作家、Olivier  Mosset の作品も見れて、逆にリズミカルで激しい原色の50代のRobert  Combas の作品も在り、質の高い大作が展示されている見応えのある、それでいて、ホットな感じの美術館です。

それはピター&アンナ夫妻の人柄を感じさせる雰囲気と言えそうです。

仙台市に本社を置く(1932年設立)、「品質は語る・・・」白松がモナカ本舗の社長白松一郎さんよりメールが届きました。

仲間の皆様は『一郎ちゃん』と気軽に呼んでいます。
パリではフランス共和国、元・防衛庁長官宅や、パリのアンヴァリッド宮殿で夕食をご一緒した事もありました。
グルメとアートに関しては、なかなかの味覚と感覚を持つ一郎ちゃんは、学生時代に米国に留学していた頃から英語(米語)が堪能で、フランス語も話せる方です。
フランスでは特に赤ワインが入りますと流暢におしゃべりする兄貴の様な頼もしい優しい方で、いろんな面でご指導を仰いでいる方(一郎ちゃんとパリの関係を書き出したら一冊の本に成りそうです)です。
そうそう、白松がモナカの一口ヨウカン、ミニ・ヨウカンのパッケージは、私もデザインさせて頂いています。
そんな一郎ちゃんから、河北新報の朝刊に記載された記事を送信して頂きました。

kahoku2010_01_23[1].jpg1月23日の河北新報の朝刊です。

佐藤達、環境造型アート作品の模型とデッサンの展示会=環境造型作品展2009が開催されていますが、夏に開催されたワークショップ・アート・輪の祭典=縄文の輪典の最終版、アート・ファイヤーのイヴェントが、12月20日に行われました。
サトル・ミュージアムのHPで既に紹介されていますが、今日は私のブログに改めて、記載させて頂きました。

サトル・ミュージアムの中田生涯学習センター永浦所長はじめスタッフの皆様と行政サイドの理解と応援を頂き、又、サトルを支える多くの方々の応援で、素晴らしい、アート・ファイヤー火の祭りが完成致しました。

2009_12_20[01].jpg 2009_12_20[23].jpg20日はミュージアムの展示の壁にサトルの環境造型作品の映像会、登米市内のサトルの野外作品をミュージアム担当の静樹君と友人の新田君の構成で編成され、又、センターの建物の壁にも投影された様です。

 ミュージアムの庭には、子供達と大勢の中で火を扱うので、市の消防団員の協力を得てホースが事前に用意されて、さすがに用意万全。

2009_12_20[20].jpg 2009_12_20[16].jpg 2009_12_20[17].jpg










フランスのお菓子も登場、チョコラ・ケーキ、チーズ・ケーキ、西洋梨ケーキ、カボチャ・ケーキ等は、ヨーロッパに研修旅行している友人の本格派・自慢の手作り傑作です。

焼き鳥の屋台には長い列が出た様です。
写真には正弘君が屋台で頑張っていた様子が写っていました。寒い中、本当にご苦労様でした。

2009_12_20[07].jpg 2009_12_20[09].jpg火を焚く祭りは子供達の心に残る事でしょう。
写真で見る限り、大勢の方々が集まった様子、縄文の火の祭典とでも言える雰囲気。
さすが、企画構成、担当の静樹君が中心で、民間応援の要の及川氏、司会の関本君、又、安倍、コイズミ、中嶋、千葉さん達との最後の最後迄、皆さんが連絡を取り合い緻密な計画を立てて完成した素晴らしいイヴェントでした。感謝です。

2009_12_20[18].jpg

7月8日は、1年ぶりに秋田のコレクター穂積惇・緑ご夫妻を訪ね、その帰り、42年ぶりに平野政吉美術館を訪問しました。

外見は昔のままでしたが秋田県立美術館と平野政吉美術館と2つの看板が付いていて、あれ、と思いながら入館。
藤田の作品に再会、以前と異なり、館内が明るく、作品も違って見えて来た、42年前の記憶を辿りながら、受付の係員の方に尋ねたら、
「そうなんですよ、館内のリニューアルをして、藤田嗣治の大作も洗浄しました」
と言う返事。
成る程、私が憶えていた作品より鮮やかな雰囲気に成っている事に納得。
藤田の大作はなんと言っても、晩年ステンドガラスを描いたランスの教会、油絵では平野美術館の秋田の祭りの作品が最大と言われています。
パリ国際大学都市日本館にコレクションされていた作品は、床に置かれたまま放置されていた時期がありましたが、今ではキチンと修復されて、壁に掲げられています。勿論、代表作の一つの大作と思いながら、日本では想像出来ない程の戦前の藤田の活躍と、画家の領域を超えたスターとしてパリの舞台に君臨した藤田の資料を思い浮かべていました。

秋田の後は盛岡経由で最終青森着。翌日、青森県立美術館の鷹山ひばり館長と2年ぶりの再会。
七戸町立鷹山宇一記念美術館の館長時代に訪ねた時以来です。

ひばりちゃんは鷹山先生のお嬢様、鷹山先生は東洋美術学校の先生の一人で、我々当時の学生は鷹山先生からシュールの絵画を学びました。
私が初めての西銀座画廊での個展の時には足を運んで下さり、只、強度の高所恐怖症で2階の会場まで階段を登る時は大変で、ご迷惑をおかけしたと言う思い出があります。
学生時代の思い出は、多くを語らず、作品を静かに診て、的確にお話をして下さる恩師でした。
その当時、美人で行動派のお嬢様の事は学内でも知れ渡っていたのです。
そんな素敵な館長から、ミュージアムに関したワークショップやイヴェントの話をお聞きして多いに参考にear、青森県美を後にしました。

なんと、その1時間後に、登米市の佐藤教育長が青森県立美術館を訪ねたと聞いてビックリ!
現地でお会い出来ずに残念でした。

青森在住のTSA卒の橋本尚恣君とは毎回、青森に行けば温泉と決まっていますが、なんと! 彼は岩手県から賞を頂き(昨年の盛岡・彩園子画廊での個展が評価され)、盛岡滞在中で会えなかったです。

日本の旅 No1

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今回の日本滞在は、夏のSatoru Sato Art Museum のイベント「アート・輪の祭典」のワークショップとミュージアムの作品展示換え、そして、登米市内の小、中学校を訪問してのミュージアムの説明と、日仏文化&社会教育システムの違いの話、更に、簡単な紙に鉛筆を使って大きな正方形を描くワークショップ、すでに、サイトでも紹介済み、私が一番楽しかったです。

その合間をぬって、サトル・ミュージアムの宣伝マンも兼ねて美術館を廻りました。
7月3日早朝に仙台から京都に行き、京都の友人が企画して下さった日程時間に合わせて4日早朝、宿を出て夢の瀬戸内海へ、まず見たのは美しく自然壮大な渦潮で、最高の気分でした。

今回の第一目的のイサム・ノグチ氏のアトリエ(庭園美術館)訪問の予約時間まで時間が在ったので、早速、期待の讃岐うどんを食べましたが、さすがに美味しかったです。

イサム・ノグチ庭園美術館イサム・ノグチ氏とは、以前、ヴェニス・ビエンナーレにアメリカ代表として彼が米国館で個展を開催したオープニングの前日、現場会場でお会いして立ち話をさせて頂いた事がありました。
世界の巨匠は温厚な優しい感じのする小柄な方、しかし、静けさの中に、ブランクージを思わせる鋭い眼球は何かを物語っている様でした。

そんなイサム・ノグチを思い出しながらアトリエをゆっくり拝見して、サトル・ミュージアムのパンフを手渡して、それから金刀比羅宮に。1368段の石段を上り、ゆっくり鈴木亮二&田窪恭治両氏の作品を最終時間ギリギリ迄のんびり拝見
(鈴木了二さんに、元・桜庭小学校の改造&改築に関しての設計をお願いする計画で話が進んでいましたが最終的に中止になり、出来上がった登米市中田生涯学習センター &Satoru Sato Art Museum は、最初のイメージとは程遠い箱物が出来た訳です)、
帰りの階段を下りる頃には、お土産屋さんの店は閉まっていました。

やっと旅館に戻りそのまま温泉にどぶん! ホッとして、体の温かいままで宿の指圧マッサージを受けて体調は万全、翌日7月5日は猪熊弦一郎現代美術館を観覧、素晴らしい作品が展示され満足いくモノでした、建築も良かったです。

MIMOCA[1].jpgMIMOCA[2].jpg最後に学芸員の方とお会いしてサトル・ミュージアムの図録を届け、そこから香川県から岡山県に瀬戸内海を横断、それから、船で直島に地中美術館、ベネッセ・アートミュージアムを拝見、最高の気分、天候に恵まれた楽しい驚きの旅でした。

ワークショップ「アート・輪の祭典!」が、8月8-9日、2日間において開催されました。

素材は材木(丸太65本に小枝)、彩色は三原色(赤・青・黄色)と白を加えただけ。

コレクションと関連する幾何学構成的立体作品と、奇麗な芝が在る元・桜庭小学校の校庭を活かした自然との共有の作品を、

タイトル ◆◇縄文の輪典◇◆ と名付けました。

2009_08_09[1].jpg初めてのワークショップと言う事で、どんな方々が参加して下さるのか先が読めない事もあり、準備段階で、まず、野外立体作品の縄文と現代美術の接点を読める空間を求めながら、デッサンと図面のラフ・スケッチを描きました。
きちんとした配置図面は今回のボランテア参加の美術家・関本君(関本欣作建築設計事務所勤務)が担当、その図面に従って、上沼高校の建築土木授業担当の及川先生とその生徒さん達による位置決め測量を直径150cmの円状に等間隔に正確にして頂きました。
その位置に杙を65本打ち込む作業は近所の丸武建設さんがボランティア協力、その現場には私が34年前、仙台三越で個展をした時に作品輸送をワゴン車でお手伝いして頂いた後藤さんも居て驚きました。
機械での杭打ちは難しいものと思っていましたが、さすがプロ、正確に杙は打ち込まれ感心しました。
その後、丸太の高さの調整、一番高い所が250cm、一番低い所が60cmになだらかに階段の様に切断して行く訳ですが、登米森林組合の野村さんの応援で、小雨降る中、見事なチェーンソーさばきで水平に切って頂きました。
本来、ここ迄の作業は、私と応援に参加して下さる3人の美術家による現場作業の計画でしたが、長い準備期間が組めない状況でワークショップが2日間と言う事もあり、積極的なセンターの所長はじめスタッフ一同の了解と協力を得て速やかに進められました。

2009_08_09[4].jpgさて、曇り空の8日、朝一番、8時過ぎにセンター(ミュージアム)に行ってみると既にセンター職員の皆さんが全員待機。
9時30分から始まるワークショップの準備に、8時半には登米高校美術部のボランティア参加の学生さんが集合。
セノオ・ナオキ(前日から横浜から上沼に来て頂いて、ホームスティ・ボランティアの及川哲雄宅に朝食付き宿泊)も、哲ちゃんと一緒に到着。
9時には仙台から関本&安部さんが、若柳からはコイズミ・タイチ、中嶋ミカ、佐沼の鹿野まち子さんも協力体制で集合。
仙台の鈴木栄ご夫妻と息子さんは9時前に到着。
9時半に成ると、参加者が見えだしました。
絵画教室にも参加した石川親子はじめ、遠方は岐阜、東京、仙台、岩手県から参加された方もいました。初日で40名近くの方々が、登米市内、地元の方々と枝を選んで色を塗る作業は昼迄楽しんだ様です。
2009_08_09[2].jpg 2009_08_09[3].jpg

7月30日、富山県入善町教育委員会、文化係、男女共同参加推進係、局長代理の藤田和美さん一行が、子供達を連れて、Satoru Sato At Museum に訪問して下さいました。

水キラキラ町いきいき入善町は、曼荼羅の画家、前田常作先生の故郷、自然豊かな立山連峰から流れる水の美味しい町、文化豊かな町です。

1992年頃でしょうか、入善町、元・水力発電所跡地再開発と言う事業が在り、再開発事業担当の三四五建築設計事務所の依頼を受けて、初めて入善町に伺いました。

当時の入善町担当課長さんが、私が宮城出身と言う事を知り、私には宮城に親戚が居り、学生時代、仙台から自転車で宮城の北にある町を訪ねた事があるとお聞きし、どこですかと訪ねたら米山町と伺いました。私の故郷、中田町と近く、同級生も知り合いも多く居る町ですと話したら急に話が盛り上がり、米山町と入善町の関わりの歴史を教えて頂いた事がありました。

そんな素敵なご縁のある町に私の作品(タイトル=太陽・月・水・風)、元・水力発電所のイメージと入善町の歴史を大切にした作品が1994年完成した訳です。

その入善町と米山町(登米市)が今も交流為されている所に立ち入った感じで、懐かしくも在り、17年も前に初めて訪ねた町を思い出しました。
そして元気な入善町の子供達と出会えて嬉しかったです。

米山町のこども達と交流し、中田町の漫画の石ノ森章太郎ふるさと記念館を観た後、20数名でミュージアムに立ち寄って下さいました。

旅する事、人との出会い、異なる地域文化との交流を体験して人は育っていく、そんな感じがしました。

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Satoru Sato

サトル・サトウ
画家・造形作家
パリに滞在して40年、
画家・環境造形作家として、
アートに専念しています。

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