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日本から戻り、2週間内にピレネー山脈に近い、パリから南南西のOloron に行き、その後、ポルトガルのCarrazeda と飛行機で飛び回りましたが、9月30日は、車で約700キロ、今、制作中のブルターニューの石の工場に行って来ました。

Bretagne[04].jpgBretagne[03].jpgドイツのコレクター宅に納める野外立体作品の最終点検、未だ、修正箇所が在り、工場での完成迄は、後一週間はかかりそうです。
予定では10月15日辺りに作品を輸送、その日に設置と言う計画で進めています。
基礎工事は建築家のmarcel 氏が担当して既に出来上がっていると連絡が入っています。

Bretagne[05].jpg Bretagne[06].jpg久しぶりのブルターニューの旅は、朝方は霧と靄で視界が厳しい状態で運転がきつかったですが、工場に着く頃は晴れて太陽が出て快適でした。

高速道路は130キロ以内、つい昔の感じでオーバーしそうですが、最近は厳しい速度制限でレーザー高速測定器が至る所に在るので大変です。
昔は200キロで飛ばしていたのが嘘の様です(ドイツは別ですが)。

carrazeda[11].jpg豪華な昼食の後は、車8台に乗り分けて、市役所の式典会場に。

新聞社やラジオ、テレビ局の報道陣も集まる中、市長と今回の企画を為さった事務局長の挨拶。
その後は、企画担当責任者のカルネイロ氏の作家紹介等々、パンフレットが配られ、無事、式典が終了しました。

その後、完成した5点の作品を鑑賞する為、5ヶ所に設置されている作品設置場所を最初に訪れたのが、私の作品の在る広場です。
題名/作家名/制作年度 が記された銅版の上に市の旗が置かれてあり、それを市長と一緒に取る除幕式を終え、カルネイロの作品説明の後、簡単な挨拶と言う事で、
『ご存知の様に16世紀、ポルトガルから日本にやって来た、カトリック教布教と貿易の名目でヨーロッパ文化を紹介した方
(ポルトガル王の依頼でインドのゴアに派遣されたフランチェスコ・ザヴィエルはインドの後、1549年に鹿児島に上陸。時の日本は戦国時代、戦局に大きな影響を与える訳ですが、この後、キリスト教布教と植民地政策を恐れた豊臣秀吉が1587年にバテレン追放令を出し、更に時代が変わり、徳川幕府は、1639年、ポルトガル人の国外追放令を出す)、
フランチェスコ・ザヴィエル・カトリック教会の聖人が居ました。当時、西洋文化の導入と共に武器も導入され、大きな役割を果たしていた時代でありましたが、それから460年後、日本人の一人の芸術家が、現代日本文化の一部の紹介に成ればと、ポルトガルにやって来て作品を制作したのが、私、サトルです』と言ったら、笑いと共に大きな拍手を頂きました。

carrazeda[8].jpg

次の日、朝8時に起床。シャワーを浴びた後、1階のレストランで朝食を取り、のんびりチェックアウトを済ませ、ロビーで待っていると、定刻10時に、昨年会っている顔なじみの役所の方が迎えに来てくれました。

早速、高速道路を140キロの速度で東にオートルート41からIP4で。
途中、コヒーを飲んで一休み。Vila Real 迄は以外と早く感じたましたが、海抜870mの峠を越え、更に山道、そこからは速度を落として、勾配のきつい岩肌に段々畑を上手く利用した葡萄畑が奇麗に見えて来ました。

カラゼッダの街はポルトから東に120Km、山の山頂では無く、スペインの国境側に近い山岳地帯、人口8千人と少ない街ですが、世界的な名酒、ポルト・ワインの葡萄の名産地、町が裕福で奇麗に整備されている街。

私を乗せた車は、直接、私の作品が設置されたばかリの広場に到着。
既に、役所の担当者、基礎工事担当者、企画担当の Alberto Carneiro 氏、招待作家の一人・造形作家のReinhard Klessinger 氏と奥様で画家のSandra Eades夫人 が待っていました。

carrazeda[6].jpg模型、図面、配置図で、頭の中では出来上がっている作品でも、周りの環境とどう対応しているのか気になる所でしたが、予想どおり、昨年の広場は拡張され奇麗に整備されて、樹々はいじらず、背景もそのままで、作品が設置されていました。

carrazeda[9].jpg広場の位置の高さは海抜700m、作品の高さは5m、幅 7m、長さ 21m、位置と方位を確認して一安心。自分の作品と対面。

carrazeda[7].jpg carrazeda[4].jpg

ポルトガルでの作品はこれで3点目と成りました。

 企画担当の Alberto Carneiro 氏 は彼自身、造形作家で、エクアドル、ポルトガル(サント・テイッソ)、韓国(ソウル韓国民俗村とプヨー)、台湾等で一緒に招待されて作品を制作している仲間の一人、お互いの作品を理解し合っている友人が責任担当者でしたので、問題はありませんでした。

carrazeda[1].jpg carrazeda[2].jpg皆さんで、お茶を飲み、カラゼッダの街の郊外のホテルでの昼食会。
市長はじめ、町の実力者と言われる方々が出席されて、プール付きの奇麗な高台に在る高級リゾートホテルはロケイションも格別、周りの見晴らしも良く、ポルトワインと、地元のワインも出て、ポルトガルの料理もおいしく頂きました。

carrazeda[12].jpg

9月26日、ポルトガルの Carrazeda de Ansiaes 市庁舎で第二回・国際野外彫刻作品完成式典が
開催されました。

式典に招待され、25日朝、自宅を出発。
Paris Orly 空港からPorto に向うべき、空港内のカウンターでチェックインをする時、初めてパイロットのストライキの為、Porto 行きの便が飛ばないことを知らされ、Lisbonne 迄 飛んでくれと。
明日の式典に間に合えばと、1時間遅れの出発も気にせず、リスボン行きに乗り込んだのです。
リスボンからポルト迄は、特別大型バスが出るからとの説明もあり、機内ではのんびり熟睡できました。
リスボンに無事着き、荷物を受け取りに行く所迄は良かったのですが、ポルト行きのバスの集合場所の説明を聞けずに慌てました。
4名程、アッチコッチと回され、1時間後にやっとたどり着いたものの、それからさらに2時間も待たされ、やっとリスボンを出発したのが16時半、予定時間を遥かにオーバーしていま した。

高速道路を利用して4時間の道のりは、ポルトガルの大自然の中を走り気分は最高、太陽が沈む夕日の光景は奇麗で、ポルト空港に着いた時は、お月様が見える、22時半過ぎでしたnight

しかし、肝心の企画責任者で造形作家の友人、アルベルトが来ていない・・・。
すぐに電話をしたもののそれがなかなか通じない。23時頃にやっと通じたと思ったら、

「4時間待ったが、連絡が無いので、現場に戻った。空港の近くのホテルに泊まってくれ。明日、役所の方が迎えに行くので。但し、ホテル・朝食代は支払ってくれ、こちらに来たら支払うから」
とのこと。

指名されたホテルに行ったら、なんと、今日は珍しく部屋が満席で空きが無いと。
そのホテルから一番近いホテルに電話で予約を頼み、再度、タクシーに乗ってそのホテルにやっと到着。部屋に入ったら何と、0時近くでした。

明日は10時に迎えが来るので、お風呂に入り、休んだところでした。
もう最悪 dash

日本からパリに戻って、9月21日、早速、オロロンへの旅です。

Paris / Orly 空港より南南西のピレネー山脈の麓、Pau空港迄、飛行時間1時間20分、定刻に着きました。

国道に面した小さな公園Pau 空港を出ると Pierre-Louis 氏が迎えに来て下さり、早速、彼の車で Oloron-Ste-marieの街に、そこで Emile Valles氏 と Jo Eygun 氏が乗り込んで全員4人で、N134号線を南下、Accous を過ぎた頃、驚くなかれ、右手に日の丸が見えて来ました。
特殊な技術の工場らしく、従業員は田舎では珍しい150人とか。工場の入口に、日本とフランスの国旗、それにヨーロッパ共同体の旗が風になびいていました(当初は日本の国旗だけ飾ってあったとか)。

日本の国旗が見える工場Toyal  Europe と言う日本の会社、フランスの田舎にそんな会社が在るとは予想外、時間が在ったら工場に寄って紹介するからと(帰りは時間が無くなり工場訪問は次回になりました)、更に5km南下した所に、今回の目的地  Borce の小さな街が在りました(スペインの国境近く)。

川沿いに面した山に Chemin de la Mâture と言う、昔、船の帆柱に使われた材木を険しい山から切り出して麓まで運ぶ『帆柱の道』と言う名跡が在り(壮大な岩崖の山道から川に接する場所迄の道)、その場所から材木は 更に大西洋に面する港街 Bayonne 迄は川下り、港からは大きな船でパリやイギリス迄運ばれた歴史ある帆柱の産地です。

岸壁に帆柱の材木を切り出し運んだ道が残されています。帆柱をテーマにした作品をその記念すべき広場(国道の前の小さな公園)に、未完のErik Dietman 氏の作品が既に設置されていました。
Erik の作品に、私の作品を設置して完成させる試みの依頼です。

Erik の作品をいじらず、私の作品を置いて公園を完成させると言う計画は初めての体験。
楽しみに現場をじっくり観察、廻りはピレネーの山々、環境を診て、歴史を知りローマ時代にさかのぼると、その地域は、すでに道にそって彫刻が設置されていた地域でもありました。

山の先はスペインです。ロマネスクの教会も在り修復されている近くのスペイン側の洞窟には、当時のアルタミラの洞窟画の様な絵が発見されている地域、住民の文化に対する捉え方に熱いものが感じられました。
大学教授のPierre-Louis の話も熱を帯びて来て、私もやる気に、来年の夏休み前に完成予定。

パリに戻り早速、地図と風景をパソコンからプリントしてアトリエの広いテーブルに広げ、模型&図面作りに取り込む準備中です。

現地ではプール付きの快適なホテルに泊まり、料理も美味しく楽しい視察の旅でした。

明日は再度、オールリー空港に、ポルトガルでの野外作品完成セレモニーに出席する為です。

9月12日の夕方、Paris の Charles  de Gaulle 空港に到着。
Mac Book を税関で届け出て、税金217ユローの支払いを済ませました(後は気楽に自由にどこでも持ち運べるので一安心)

荷物一杯の旅でしたが、空港にはPierre Mavropoulos 氏が迎えに来て居て、空気が乾燥しているパリの夕暮れを見ながら、彼の車の中では機内から解放されたホッとした感じで、お茶も飲まずにパリのアトリエに帰宅。
届いている手紙類にも眼を触れず熱めの湯船に浸かり、そのままゆっくり爆睡!でした。
 
日本ではヴァカンス&仕事でしたが、パリは仕事中心。
既に、ポルトガルでの野外作品完成セレモニーは9月26日と確定していますし、10月上旬迄にはドイツのコレクターの庭に収める野外作品のチェック、早めにブルターニューの石切り場に行く予定で気になっていましたが、今度は Oloron-Sainte-Marie に緊急に行く事に成りました。
造形作家Erik Dietman 氏とのコラボでの制作依頼が入り、緊急に先ず現場を視察してくれと言う事で、Orly からPau迄の予約を入れた所です。
飛行機で1時間20分の所です。
そんな訳で、来月の15日迄は、当分、ゆっくりパリには居られない様です。
 
それでも今日は久しぶりに画廊廻り、サトル・ミュージアムに作品を寄贈して下さった作家、madéとFriedhelm Tschentscher の二人展に行って来ました。
実は昨日、オープニング・パーテイーで、出席する計画が、慌てん坊で忘れ癖、相変わらずのドタキャン、慌てて今日会場の写真を撮りに行って来ました。
作品は素晴らしく、2人の作品を見事に生かした展示、久しぶりのパリの展覧会は galerie gimpel&müller から始まりました。
 
made_friedhelm[1].jpg 未だ、時差ボケに気がついていない様で〜すが、先ずは、パリからの第一報でした。

7月23日、14時30分、待ち合わせ!
2年前の桂は、丁度梅雨の真っ盛り(6月末)、AkiとTony を案内した時は豪雨の中、雨踊る感動的な風景は格別でした(3人ともシャワーを浴びた様にずぶぬれでした)。

日傘が必要なぐらいの天候に惠まれ、今回は松井さんの企画で、竹内次男教授と安達先生、松井さん(共に京都工繊大学・建築科・竹内教室関係者)とご一緒、安達先生が持参した文献を見ながら、桂の案内役の説明を聞き楽しい時を過ごす事が出来ました。

戦前にタウトが桂を認めて日本人がその後桂を再認識したと言う事は知られていますが、戦後、グロピウスが桂を訪問、彼の力で桂の紹介がドイツで為されていた事を初めて知り嬉しくなりました。
なんと言っても私が恋するバウハウスの話ですから、バウハウスに距離を置く竹内教授と、3人で盛り上がりました。

安達先生が現在の桂の案内順が以前(戦前や戦後当時の紹介)とは逆方向で案内している様ですねと、文献を紹介しながら(茶道を知っている方ならお気付きの方も多いと思います)、楽しい時間を過ごしました。

桂を去り、松井さんの車で彼女が内装した可愛い空間の喫茶店に。ケーキと紅茶やコーヒーを頂き、一休み、それから、佳水園の見学会を兼ねて其所でビール飲み会が企画されていました。
京都の都ホテル、現在、ウェスティン都ホテル京都と改名されていますが、言わずと知れた建築家・村野藤吾大先生の設計。特に佳水園は心を癒される空間、日本間には行灯が置かれ、空間、宴たけなわで、佐沼高等学校美術部の1年先輩の菊地英恭さんも来て下さり、彼はどこに出かける時でもいつも着物姿、板に就いています。手作りの一品は、帯から鞄、名刺入れ、メモ帳箱、総てがこだわり作品、これでまた、話が盛り上がりました。

皆さんがお帰りになり、一人になった日本間の部屋は生きている様な空間、ゆっくり桧の木風呂に入り、布団の中で熟睡出来ました。
早朝の南禅寺への散歩は格別で、哲学の路も歩けましたが、2年ぶりの銀閣寺は工事中でした。

以前、このブログでも紹介していました親友・眞板雅文&みつ江ご夫妻宅の二宮のアトリエに訪問しました。
7月12日、二宮駅に到着。奥様(みつ江夫人)が車で、駅まで迎えに来て頂き、「マイタがこんな事になって・・・」、私の方は「今日は線香を上げに来ました」と、40年近くつき合った友人の死は、悲しいと言うよりぽかりと心に穴があいた様な感覚でした。

懐かしの二ノ宮のお宅へ、子犬が居る頃、泊めて頂いた事が在りました。
可愛がっていた犬も、眞ちゃんも天国で、「おい! 佐藤氏、ちゃんと線香あげてくれよ!」と、
言っている様な気がしていました。

アトリエには3月まで眞板さんが描いていたデッサンがキチンと壁に飾られ、この夏イギリスで現地制作する予定の模型も奇麗に展示されていました。

2009_07_12[1].jpg2009_07_12[2].jpgみつ江夫人はパリに置いてある(田淵先生のアトリエや我が家に置いて在る)作品が気になる様子、パリに戻ったらまず、田淵先生の所は宇都宮さんに聞いてみますと約束して帰りました。

今年3月9日に亡くなられた眞ちゃんの初盆でした。   合掌

7月8日は、1年ぶりに秋田のコレクター穂積惇・緑ご夫妻を訪ね、その帰り、42年ぶりに平野政吉美術館を訪問しました。

外見は昔のままでしたが秋田県立美術館と平野政吉美術館と2つの看板が付いていて、あれ、と思いながら入館。
藤田の作品に再会、以前と異なり、館内が明るく、作品も違って見えて来た、42年前の記憶を辿りながら、受付の係員の方に尋ねたら、
「そうなんですよ、館内のリニューアルをして、藤田嗣治の大作も洗浄しました」
と言う返事。
成る程、私が憶えていた作品より鮮やかな雰囲気に成っている事に納得。
藤田の大作はなんと言っても、晩年ステンドガラスを描いたランスの教会、油絵では平野美術館の秋田の祭りの作品が最大と言われています。
パリ国際大学都市日本館にコレクションされていた作品は、床に置かれたまま放置されていた時期がありましたが、今ではキチンと修復されて、壁に掲げられています。勿論、代表作の一つの大作と思いながら、日本では想像出来ない程の戦前の藤田の活躍と、画家の領域を超えたスターとしてパリの舞台に君臨した藤田の資料を思い浮かべていました。

秋田の後は盛岡経由で最終青森着。翌日、青森県立美術館の鷹山ひばり館長と2年ぶりの再会。
七戸町立鷹山宇一記念美術館の館長時代に訪ねた時以来です。

ひばりちゃんは鷹山先生のお嬢様、鷹山先生は東洋美術学校の先生の一人で、我々当時の学生は鷹山先生からシュールの絵画を学びました。
私が初めての西銀座画廊での個展の時には足を運んで下さり、只、強度の高所恐怖症で2階の会場まで階段を登る時は大変で、ご迷惑をおかけしたと言う思い出があります。
学生時代の思い出は、多くを語らず、作品を静かに診て、的確にお話をして下さる恩師でした。
その当時、美人で行動派のお嬢様の事は学内でも知れ渡っていたのです。
そんな素敵な館長から、ミュージアムに関したワークショップやイヴェントの話をお聞きして多いに参考にear、青森県美を後にしました。

なんと、その1時間後に、登米市の佐藤教育長が青森県立美術館を訪ねたと聞いてビックリ!
現地でお会い出来ずに残念でした。

青森在住のTSA卒の橋本尚恣君とは毎回、青森に行けば温泉と決まっていますが、なんと! 彼は岩手県から賞を頂き(昨年の盛岡・彩園子画廊での個展が評価され)、盛岡滞在中で会えなかったです。

日本の旅 No1

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今回の日本滞在は、夏のSatoru Sato Art Museum のイベント「アート・輪の祭典」のワークショップとミュージアムの作品展示換え、そして、登米市内の小、中学校を訪問してのミュージアムの説明と、日仏文化&社会教育システムの違いの話、更に、簡単な紙に鉛筆を使って大きな正方形を描くワークショップ、すでに、サイトでも紹介済み、私が一番楽しかったです。

その合間をぬって、サトル・ミュージアムの宣伝マンも兼ねて美術館を廻りました。
7月3日早朝に仙台から京都に行き、京都の友人が企画して下さった日程時間に合わせて4日早朝、宿を出て夢の瀬戸内海へ、まず見たのは美しく自然壮大な渦潮で、最高の気分でした。

今回の第一目的のイサム・ノグチ氏のアトリエ(庭園美術館)訪問の予約時間まで時間が在ったので、早速、期待の讃岐うどんを食べましたが、さすがに美味しかったです。

イサム・ノグチ庭園美術館イサム・ノグチ氏とは、以前、ヴェニス・ビエンナーレにアメリカ代表として彼が米国館で個展を開催したオープニングの前日、現場会場でお会いして立ち話をさせて頂いた事がありました。
世界の巨匠は温厚な優しい感じのする小柄な方、しかし、静けさの中に、ブランクージを思わせる鋭い眼球は何かを物語っている様でした。

そんなイサム・ノグチを思い出しながらアトリエをゆっくり拝見して、サトル・ミュージアムのパンフを手渡して、それから金刀比羅宮に。1368段の石段を上り、ゆっくり鈴木亮二&田窪恭治両氏の作品を最終時間ギリギリ迄のんびり拝見
(鈴木了二さんに、元・桜庭小学校の改造&改築に関しての設計をお願いする計画で話が進んでいましたが最終的に中止になり、出来上がった登米市中田生涯学習センター &Satoru Sato Art Museum は、最初のイメージとは程遠い箱物が出来た訳です)、
帰りの階段を下りる頃には、お土産屋さんの店は閉まっていました。

やっと旅館に戻りそのまま温泉にどぶん! ホッとして、体の温かいままで宿の指圧マッサージを受けて体調は万全、翌日7月5日は猪熊弦一郎現代美術館を観覧、素晴らしい作品が展示され満足いくモノでした、建築も良かったです。

MIMOCA[1].jpgMIMOCA[2].jpg最後に学芸員の方とお会いしてサトル・ミュージアムの図録を届け、そこから香川県から岡山県に瀬戸内海を横断、それから、船で直島に地中美術館、ベネッセ・アートミュージアムを拝見、最高の気分、天候に恵まれた楽しい驚きの旅でした。

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Satoru Sato

サトル・サトウ
画家・造形作家
パリに滞在して40年、
画家・環境造形作家として、
アートに専念しています。

Satoru Sato Art Museum

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