世界で活躍する日本の芸術家たち。

横尾忠則

横尾忠則は、兵庫県西脇市生まれの美術家、グラフィックデザイナーです。神戸新聞社にてグラフィックデザイナーとして活動後に独立し、1980年7月にニューヨーク近代美術館にて開催されたピカソ展に衝撃を受け、その後、画家宣言しました。以降は美術家として様々な作品制作に携わっています。また、1969年に大島渚監督による「新宿泥棒日記」に主演したのをきっかけに俳優としても活動しており、向田邦子脚本によるテレビドラマ「寺内貫太郎一家」では倉田という謎の多い人物を演じて好評を博しました。このようにジャンルに限らず活躍している人物です。

プロフィール

1963年6月27日、兵庫県多可郡西脇町(現在の西脇市)に生まれました。叔父の横尾家に養子に入り、可愛がられて育ちます。この頃から既に絵本の模写などをしていたそうです。1943年に西脇国民学校に入学。漫画を描くようになり、「漫画少年」に投稿した利していました。1949年には市立新制西脇中学校に入学しました。このころ横尾はイギリスの女優、エリザベス・テイラーにファンレターを送り、その返信が来たことで地元紙に報じられています。1952年に中学を卒業し、兵庫県立西脇高等学校に入学しました。通信教育で挿絵を学び、油絵やポスター制作を開始します。郵便局員志望だったのですが、教師の勧めで一時は東京の美大受験も考えましたが、結局地元の印刷屋に就職します。

転機

しかしこれが横尾の大きな転機となるのでした。印刷屋の仕事の一環として、地元の商店の包装紙のデザインを手掛けたのですが、そのデザインが気に入られ、新聞社に引き抜かれたのです。1956年、横尾は神戸新聞社へ入社します。翌年には結婚もし、1960年には上京して日本デザインセンターに入社しました。1964年には長女が生まれます。また同年には、宇野亜喜良、原田維夫と「スタジオ・いるフィル」を結成します。1965年には、三島由紀夫と出会いました。三島とはその後も親交を続け、後に共に仕事をしています。1967年には、寺山修司の「天井桟敷」に参加します。また同年、ニューヨーク近代美術館に作品がパーマネントコレクションされました。その2年後、自身が主演として初めて出演した大島渚監督の映画「新宿泥棒日記」が公開になります。これをきっかけにその後、いくつかの映画やドラマに俳優として出演することになります。1972年にはニューヨーク近代美術館にて個展を開催しました。1974年には以前から親交のあった写真家の篠山紀信と共にインド旅行に行きます。インドは横尾のお気に入りの場所となり、その後何度も訪れているそうです。また、インド旅行は横尾に「精神世界」に興味を深めるきっかけにもなりました。

画家宣言

1981年には渋谷西武で大規模な個展を開きます。翌1982年には、南天子画廊でペインティングの近作をまとめた個展を開きます。この個展は世間に横尾忠則の「画家宣言」と捉えられました。同時に画家としての活動を活発化させていきます。1987年には兵庫県文化賞を受賞し、兵庫県公館に作品が展示保存されました。他にも、1995年に毎日芸術賞、2001年に紫綬褒章を受賞するなど、高い評価を受けています。2002年には、これまでで最大規模の個展「横尾忠則森羅万象」を開催しました。また、多摩美術大学の大学院教授に就任し、以降2004年までその職を務めました。2004年には故郷のそばを走るJR加古川線電化開業するのにあわせ、ラッピング電車のデザインを行いました。また、多摩美術大学の大学院客員教授に就任しました。2008年には小説家としてデビューし、初の小説集「ぶるうらんど」が泉鏡花文学賞を受賞します。2010年には神戸芸術工科大学大学院客員教授に就任します。2011年には旭日小綬章を受賞します。翌2012年には常に時代と共振する斬新なグラフィックデザインや絵画の制作のより2011年度朝日賞を受賞します。また神戸市灘区に横尾忠則現代美術館が開館します。2013年には西脇市名誉市民称号を受章しました。また同年には、香川県小豆町土庄町豊島にあった民家を回収し「豊島横尾館」をオープンしています。この美術館は横尾の生涯のテーマである「生と死」を一つのものとして考案されていて、既存の建物配置を活かした構成となっており、3連の大作絵画である「原始宇宙」を中心に、平面作品11点が展開され、トイレ内まで作品化されています。

横尾忠則の作風

横尾は、油絵、オフセット印刷、テクナメーション、立体など、多様な技法を使った幅広い作風でジャンルを超えて活動しています。また先行する作品を引用や模写の形で作品に取り入れることも多いです。「絵を描くことは愛」だと語っており、理論や状況分析によって制作するという立場は採っていません。また、興味をもった対象は膨大な量をコレクションする傾向にあります。それらのコレクションは作品のモチーフになったり、引用されたりします。1980年代後半から滝を描き続けたときは、膨大な滝のポストカードを収集し、コレクション自体も作品化しました。2000年からの「暗夜光路」シリーズでは、故郷・西脇市で幼少時によく通った模型店付近にあるY字路を集中して描きました。また、前述した通りインドを何度も訪れていて、インドを訪れたことで「精神世界」に興味を持つようになったそうです。宇宙人や霊的な存在についても言及しており、作品の評価の際にもそれらとの関連が指摘されています。本人いわく霊感が強く、心霊と会話することも出来るのだとか。きっかけは1970年代に宇宙人に、首のところへ送受信装置を埋め込まれ、それにより霊界との交信が可能になったためだそうです。それらに関する著書もいくつか執筆しています。「メディア型美術家」と称されるほど、各種メディアへの登場頻度が高いのも大きな特徴です。自身の公式サイトで発表しているひとこと風の日記「YOKOO'S VISION」は、更新頻度も高く、訪問数も多いです。美術作品だけではなく、「週刊少年マガジン」の表紙や、マイルス・デイビスのアルバム「アガルタ」、サンタナのアルバム「ロータスの伝説」「アミーゴ」などのジャケット、1979年の貴乃花・1981年の千代の富士貢の化粧廻し、宝塚歌劇団のポスター、マツダ・コスモスポーツの海外向けカタログなどのデザインも手掛けています。また、多くの異なるジャンルの作家と交流を持っており、共同で仕事をすることも珍しくありません。

横尾忠則の魅力

横尾忠則の絵は、その極彩色の色使いと、デフォルメされた人物の絵が特徴です。不思議な高揚感のある横尾の絵を目にしたことがある方も多いのではないでしょうか。近年ではユニクロのTシャツにも採用されていましたね。毒気満載で刺激的な彼の絵は、日本国内はもちろんの事海外でも高い評価を得ています。彼の絵は観客の予想だにしない仕掛けや展開があって、何時間でも見ていられる気がします。しかし一方で、彼の絵が苦手だという人も多いと思います。サイケデリックで目がチカチカするほどの色合いや、不思議な精神世界は、好きな人はとことん好きになれますが、嫌いな人は全く受け付けないのではないでしょうか。意外と知られていないのですが、横尾の絵はそういった極彩色のビビットなものだけでなく、写実的な油絵などもあるのです。そちらも確かに色遣いは横尾なのですが、どこか温かみを感じるような、それでいてその奥に不安を感じる要素もあるという不思議な絵になっています。まだそういったタイプの横尾の絵に遭遇していない方は、ぜひともご覧になってみてください。きっと彼の絵に対する苦手意識が減ると思います。